「疲労の指標、血中乳酸値を予測できる時代がやってきた!」

雑誌 BICYCLE21 12月号記事からの抜粋です。

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富和清訓(ロードレースドクター)x 栗村修(ロードレース解説者)

「疲労の指標、血中乳酸値を予測できる時代がやってきた!」

サイクルモード2015・ライジング出版ブースにて行われた本誌連載「こちらドクターカー」でおなじみの富和清訓先生と栗村修氏のトークショー。ここでは会場に来られなかった方のため、トークショーの内容を大幅にパワーアップさせて、富和先生の連載コラム出張特別版というかたちでお届けする。

エネルギーの産生と「乳酸がたまる」

「乳酸たまって脚パンパンでさ〜」レース会場でよく耳にする言葉です。「乳酸たまっているからローラー回してきま〜す」。これもまたよく聞きます。
これまで、乳酸は老廃物・疲労物質の代名詞のように言われてきました。しかし、近頃は乳酸は重要なエネルギー源のひとつとして捉えられるようになってきました。老廃物・疲労物質の代名詞と、重要なエネルギー源では、180度異なります。一体どういうことなのでしょうか?
まずエネルギーの産生について説明しましょう。血液からの糖(炭水化物)が細胞膜を通って細胞内に入って、細胞質基質という場所で糖が利用され、ピルビン酸になる過程でアデノシン三リン酸(ATP)が産生されます。また、細胞内のミトコンドリアという器官の中でピルビン酸をもとに大量のATPが産生されます(図1)。pic002このATPがエネルギーの素で、ATPがアデノシン二リン酸(ADP)になる際にエネルギーが放出されます。
従来より、乳酸は無酸素運動(=解糖系)で作られると言われています。では乳酸産生のもとは何でしょうか? それは糖です。図示しましたように、糖が細胞質基質でATPを産生、そしてピルビン酸や乳酸という物質になります。乳酸とピルビン酸の関係は、乳酸を酸化させるとピルビン酸になるという関係です。つまり、乳酸は酸化されてピルビン酸となり、結果的にはミトコンドリア内でATP産生の源となるのです。

乳酸は疲労物質ではない。
人は乳酸をエネルギー源として利用する

ここで少し、筋肉について考えてみましょう。筋肉には大きくわけて2つの種類、遅筋線維と速筋線維があります。特徴は(図2)の通りです。
pic003ピルビン酸の酸化という過程はミトコンドリアで行われ、主に遅筋線維がその舞台になります。一方、解糖系という糖を利用してピルビン酸や乳酸を産生する過程は、主に速筋線維がその舞台になります。つまり、速筋線維で産生されたピルビン酸は別の遅筋線維で主に利用されています。この時、ピルビン酸はMCT(モノカルボン酸トランスポーター)という運び屋を介して速筋線維から別の遅筋線維に運ばれます。エネルギー源を効率よく上手に利用していますね。
乳酸は糖を利用することによって生じます。従来から、糖が枯渇していない状況では運動を終えて疲労している時には「乳酸が多く産生されていることが多い」と言われています。従って、血中乳酸濃度を疲労の指標にすることは間違いではないと考えます。
ただし、疲労の原因はその他の環境、体温、電解質異常を含めた脱水、筋肉の細かい損傷などが合わさったものと考えるべきだとされています。乳酸が酸化され、ピルビン酸を介してATP産生の源になるわけですから、乳酸は疲労物質ではなく、我々は乳酸をエネルギー源として利用しているという捉え方をすべきです。疲労物質と言われると、老廃物で早く捨ててしまわなければならないようなイメージを描いてしまいます。

LTを超えるとどうなるのか

無酸素運動というのは、ATPの産生に酸素を必要としない過程です。しかし、酸素の供給がないために、無酸素運動で乳酸が産生されるというわけではないと考えられています。なぜならば、安静にしていても、充分に酸素を得られている条件でも、無酸素運動によってピルビン酸や乳酸が産生され、またそれを利用してミトコンドリアでさらにATPを産生しているからです。
乳酸閾値(しきいち)ということばを聞いたことのある方も多いでしょう。簡単に言うと、ある運動強度以上になると血中乳酸濃度が急激に上昇するポイントです。乳酸閾値は Lactate Threshold (LT)と呼ばれます(図3)。
pic004我々の身体は糖と脂肪をエネルギーとしています。しかし、脂肪は貯蔵には便利ですが、エネルギーとしてはあまり使い勝手がよくないようです。脂肪をエネルギーとして利用するには少し複雑な過程を踏む必要があるからです。また、脂肪は水に溶けないので運搬に手間がかかります。脂肪は運動強度の低い安静時からでも利用されていますが、大きなエネルギーを要する際にはその運用に間に合わないといったところです。
つまり、LTを超えると、脂肪よりも糖の利用が進みます。また、LTを超えるような運動強度では、アドレナリンなどの交感神経(※)を活発にするホルモンが産生され、交感神経が優位になり、さらに糖の利用が進むようです。さらにLTを超えるような運動強度を要する場合には、大きな瞬発力を兼ね備えた速筋線維が動員されるので糖の利用が活発になるとも考えられています。これらの作用が総合的に重なり合うことでLTを超えるような運動強度になると急に血中乳酸濃度が上昇するとされています。

※動物の体内・臓器などを調節する神経は自律神経と呼ばれ、交感神経が優位な(戦闘モード・活発)
状態と副交感神経が優位な(リラックスモード・安静)状態のバランスによって調節されている

血中乳酸濃度を予測できる
GoMoreスタミナセンサーの衝撃

2015年8月、血中乳酸濃度の状態を体表から予測できる機器が市場に出ました。ジークスの「GoMoreスタミナセンサー」(以下GoMore)です。
この機器は画期的です。今までは乳酸を計測しようとすると、血液検査をしなければならなかったのですが、GoMoreでは体表から予測できるというのですから。
pic005GoMoreはサイクルコンピューターに付随したハートレートモニターのように装着します。GoMoreは特許出願されており、どのような方法で乳酸値を予測しているのか明確なことまではわかりません。しかし、私見の域では、GoMoreが胸部に装着するもので、随時心拍数を計測していることから、心拍数のほんのわずかな変動に着目していると考えます(図4)。
pic007なぜならば、運動中における心拍数のわずかな変動と自律神経の変調については、その関係が過去に研究・報告されているからです。心拍変動解析、周波数領域解析という手法を用いますが、本稿では割愛します。GoMoreは心拍数のわずかな変動を捉えることで、自律神経に及ぼす影響を察知しているのだと考えます。先ほど、交感神経が優位になった場合には糖の利用が進むことを説明しました。GoMoreが心拍数のわずかな変動を交感神経が優位だと察知した場合には、体内では交感神経が優位になり、糖の利用が進むことで乳酸が多く産生されていると予測することができるのです。

GoMoreは良い練習相手になる

トレーニングをする時、従来のハートレートモニター管理では、「最大心拍数は220マイナス年齢」と言われており、それを基準に運動強度を決めていきます。しかし、この場合だと、年齢によって運動強度の限界が決められていました。限界点が決められてしまうと、トレーニングでどのように効果が得られたのかを確認するのは容易ではありません。もちろん、レースでのタイムや順位というものが指標にはなりますが、トレーニングの効果を日々確認するのは難しいです。
pic006ヒトの身体はいろんな環境に順応していく特性を持っています。例えば、高地トレーニングもそのひとつですね。酸素が薄いと赤血球とヘモグロビン、最大酸素摂取量の増加がみられます。同様に、トレーニングで体内に乳酸が多い状況を作ると、その乳酸をもっと利用しようとして、毛細血管やミトコンドリアの数が増加します。ミトコンドリアが増えると、乳酸を利用することが活発になり、同じ強度でも血中乳酸濃度が小さくなり、血中乳酸濃度が急激に上がるポイントであるLTをより大きくすることができます。前述の図3のように、LTがより右側に移動すれば、遅筋線維での乳酸の利用範囲が広がり、より強い運動強度になるまで速筋線維での糖の利用を据え置き、ゴールスプリントに備えることが可能になります。自転車競技での「脚をためる」という行為になるわけです。
LTを上げることはトレーニングの良い指標です。GoMoreは最初に、一定に保てるベストの運動強度でその運動を続けるようにキャリブレーション(体力計測)をするように勧めてきます。それは、ユーザーの限界やLTがどこにあるのかを測定しているのだと考えられます。ユーザーの限界やLTには個人で大きな差があるわけで、その基準を登録しておくのは今後のトレーニングの指標には重要です。
一方で、ユーザーの特徴が記録されているので、手を抜くとすぐに指摘されるのが良い点でもあり、困った点でもあり……。そもそも、手を抜くとキャリブレーションの時点でやり直すようにとGoMoreから却下されてしまいます。特に1人で練習をしなければならないサイクリストにとっては、良い練習相手になると思います。ただし、必ず自身の健康管理を重視したうえでトレーニングを行うことがとても重要です。特にシーズンが終わったこの時期、自身のケア、健康診断などを怠って新たなトレーニングをするのはよろしくありません。

脚がパンパンになる理由

最後に、レース後の「乳酸がたまって脚がパンパン」という表現について。それは、下肢の脹れ(むくみ・浮腫)が目立った症状であり、原因の多くは静脈環流(血液の戻り)が悪くなったために生じていると考えてよいと思われます。レース後の脚では筋線維の細かい傷による物質やカリウムの漏出や乳酸が生じていると考えられ、速やかに取り去るためにも静脈還流を活発にさせることが望ましいのです。


参考文献 八田秀雄. 新版 乳酸を活かしたスポーツトレーニング. 東京: 講談社. 2015
Akselrod S. et al. Power spectrum analysis of heart rate fluctuation: a quantitative probe of beat-to-beat cardiovascular control. Science. 1981; 213: 220-222.
早野順一郎. 心拍ゆらぎと自律神経. Therapeutic Research. 1996; 17(1): 163-235

 

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